第6回 関西ウォーク(上町台地)開催!

雨模様の天気でしたが、徐々に雨も上がり気持ちよくウオーキングを楽しみました。
○日時 11月1日(土) 9:30〜15:00
○場所 JR玉造駅〜上町台地のポイント〜大阪城
○参加者 31名 (15000歩)
<今回のポイント>
@ 三光神社・宰相山公園(真田幸村の銅像・真田の抜け穴)・真田山公園
この地は、400年前の大坂冬の陣で真田幸村が「真田丸」という出城を築いて
徳川方の大軍を迎え討った場所である。 (大坂の陣400年祭で人出多し)
A 大阪有数の文教地区
高津高校・大阪明星学園・清水谷高校・大阪女学院が、上町台地の背骨に当たる
道路沿いに並んでいる。(各学校の沿革などを紹介)
B 円珠庵(霊木「鎌八幡」と契沖の墓)
大きな欅の木に鎌が打ち付けてある。大坂冬の陣で真田幸村が“鎌八幡大菩薩”と
必勝を祈願し、霊験あらたかであったとの謂れがある。
江戸時代中期の国文学者契沖が晩年を過ごしたところとしても有名。
C 聖マリア大聖堂 (カトリック玉造教会)
中央にマリア像、左右に高山右近と細川ガラシャの石像を配置した聖堂の建物は
今回のウォークの目玉ポイントであったが、丁度外装工事中で、覆いが架けられて
堂内のステンドグラスの絵なども見ることが出来なかった。(残念!)
D 越中井(旧細川家の大阪屋敷があったところ)
関ヶ原の戦いの際、石田三成の西軍は、徳川方に参陣した東軍大名の妻子を人質に
しようと各大名の屋敷を取り囲んだ。
一番の標的であった細川家では、正室玉子(ガラシャ)が人質を拒み、家臣に命じ
て介錯させ爆薬の炎の中で昇天した。
辞世〜散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ〜
E 難波宮跡(前期・後期)
7世紀の半ば、645年「大化の改新」によって生まれた新政権(孝徳天皇)が、
政争の地大和を離れて、この地に都を移し、新しい政治制度の実現を目指した。
また、遷都を繰り返した聖武天皇も、一時期(744年)ここに都を造営した。
F 大坂城(豊臣期・徳川期)
○豊臣期:上町台地のほぼ北端、石山本願寺の跡地に羽柴秀吉が築城した。
絢爛豪華なお城で「三国無双の城」と言われた。
○徳川期:大坂夏の陣により灰燼に帰した大坂城は、第2代将軍秀忠によって再建が
始められ、1629年家光の時代に完成した。
○現在の大阪城:昭和6(1931)年、大阪市民の浄財により再建されたもの。
*最後は、希望者20名が天満橋「マリアン」で、打ち上げの乾杯で〆ました。
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