濟々黌41年会 活動報告

 H24年夏の甲子園応援   S41年卒 中村 弘則
済々黌野球部が18年ぶりに甲子園にやってまいりました。

大竹投手―西口捕手のバッテリーを中心とした守りと走を重視した攻撃で、県大会準決勝では強打の九州学院を1−0、決勝では必由館高校(同校の西田監督は済々黌出身)を7−3で破って甲子園出場を決めたものです。

18年ぶりの甲子園出場は全国の済々黌OB・関係者を熱くさせました。

8月13日の初戦(2回戦)は春の選抜ベスト4に残った強打の鳴門高校が相手でしたが、大竹投手の絶妙な制球力(キレのある直球と緩急のスライダー)とだれもがビックリしたダブルプレースリーアウトの間にホームインして1点をもぎ取るといった賢走(多くのメディアで取り上げられた)などで3−1での快勝でした。

済々黌アルプススタンドは入りきれない(多くが外野席に回った)ほどの大応援団で、黄色一色に染まり、済々黌独特のまさに声による大声援は各方面から称賛されました。

S41卒同期生も関西から(荒内)(今里)(亀井)(駒崎)(竹村)(中村)(大鶴)(山内)が、福岡から(田中)(林)(守田)が、熊本から(久保田)が応援に駆けつけました(他にも熊本や東京や名古屋からも駆けつけた同期生もいたはず)。

終了後、熊本県人会主催の祝勝会に関西の8名に加え、(田中)(林)(守田)(久保田)の4氏も参加しました。

総勢50名以上の大祝勝会で中西黌長も同席され、黌歌を歌い美酒に酔いました。

8月18日の3回戦の相手は今大会優勝候補の大阪桐蔭高校でしたが、6−2で敗れました。この日の大竹投手はボール先行でストライクを取りにいって痛打されたり、ホームランを打たれたりしました。

また、鳴門校戦では無かった4球、死球もあったりで調子がいまひとつでした。

やはり大阪桐蔭を意識して持ち前の制球力に微妙な狂いが出たのでしょうか。

それにしても善戦でした。野手は無失策でした。

また9回表には1死満塁と押せ押せとなり、結果はその後の2本とも野手の正面を突くいい当たりのライナーで試合終了となりましたが、大阪桐蔭ベンチを冷やっとさせました。

この日も済々黌アルプススタンドは黄色一色に染まり、初戦同様、大声援が球場全体に響き渡りました。

今回もS41同期生は関西から(亀井)(駒崎)(竹村)(中村)(山内)(児玉夫妻)(豊原)が、神奈川から(久保田/女性)、名古屋から(野口)、福岡から(工藤)、熊本から(斉藤)が応援に駆けつけました(他にも東京や熊本などから駆けつけた同期生いるかも)。

終了後、(亀井)(駒崎)(竹村)(中村)(山内)の5名は梅田で残念会を開きましたが、そこには松岡先輩をはじめ8名のS29卒の先輩達と同席となり、選手の健闘を称えるとともに、いつしか済々黌談義に花が咲き、楽しく過ごしました。

スクールカラーの黄色に染まったアルプススタンドの大声援は済々黌健児・OBの意気を大いに示しました。

その大声援に鳴門校のピッチャーは「済々黌アルプス席の声援が大きく、プレッシャーを感じた」と語り、また、大阪桐蔭の監督は「甲子園ではいつも地の利を感じていたが、今日は済々黌の大応援にアウェー感があった」と話したそうです。

大阪桐蔭戦9回表の1死満塁での「打てー!打て打て打て打て!」の大声援は球場に地鳴りのように響いたのではないでしょうか。

中にいた小生も鳥肌が立ったものです。

H24年夏の甲子園は終わりましたが、我々をここまで熱くさせてくれた後輩たちに感謝するとともに、来年の再来場を期待して待ちたい。そして今一度熱くさせてもらいたい。